世界の片隅でひっそりと呟く

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アフリカを発展させる方法(その2) 〜日韓併合という社会実験〜

アフリカを発展させる方法(その1) - 世界の片隅でひっそりと呟く

↑前のエントリの続きです。

やる気があればフランスの信託統治で発展させる見込みはあるけど、あまりにも負担が大きすぎるのでフランスが引き受けるわけがない、という結論でした。そのため、他国でもできる方法を考えます。それが副題の『日韓併合』方式です。

 

元々日韓併合について調べたのはアフリカのためではなく、「何故欧米の植民地は旧宗主国に悪感情が無いのだろうか」という疑問からです。まずそちらを調べたところ、ナミビアのドイツに対する感情は非常に悪いということがわかりましたが、これはジェノサイドが原因であり、韓国と日本の関係には参考になりませんでした。そこでイギリスやフランスのやり方と日韓併合にはどんな違いがあるのかを調べてみました。

未開な地域を植民地とした大航海時代は参考になりませんので別として、19世紀のある程度の水準の国家ができていた地域(インドやベトナムなど)を植民地化したケースと比較します。ずいぶん違うなと思った部分を列挙しますと、

①国土全域を編入した

②政体を全面的に変えた

朝鮮総督府の財政が赤字だった

という点です。

まず①について。前のエントリで書いたとおり、欧米の植民地は自分達にとって必要な場所しか押さえません。首都を始めとした都市部や鉱山などです。農村地帯では宗主国の人が直接プランテーション経営をする場合もありますが、自分の所有地以外には干渉しません。しかし、日韓併合では当時の大韓帝国の領域全てを編入し、全土に警察を配置しました。

続いて②について。欧米の植民地では基本的に現地の統治機構を温存します。自分達に反抗的な勢力は排除しますが、上層部をすげ替えるだけで下部はそのままです。反抗しなければ上から下までそのまま温存です。政治改革するつもりは全くありませんし、それに自分達が直接現地民と接触すると現地民の反感を買いやすいというのもあります。現地の勢力の上層部だけを押さえておき、下々の人達に対しては現地の勢力を通じて間接支配するわけです。それに対し日韓併合は、現地の貴族から全面的に実権を取り上げて、日本の統治システムを全土に押し付けました。

最後に③です。これも前のエントリで書いたとおり、欧米の植民地は自分の必要なインフラしか整備しません。しかし日本はというと、朝鮮全土に投資を行い、鉄道や道路、水道などのインフラ整備、学校や工場や病院など、日本本土にある物と同じものを作りました。これらの資金は日本本土から持ち込まれました。

これらのことから分かるのは、当時の朝鮮は日本の植民地ではない、ということです。では当時の日本は朝鮮をどうするつもりだったのかと言うと、日韓【併合】という言葉でも分かるように、吸収合併して完全に日本の一部にしてしまおう(内地化と言います)と考えていました。実は明治初期に琉球王国に対して同じことをやっていますが、こちらは17世紀以降は薩摩藩の間接支配下に組み入れられていたこと、国の大きさが全然違うこと、言葉が方言程度の差しかないことなど、朝鮮とはかなり条件が違います。併合時の大韓帝国の人口は1,300万人、日本の人口は5,100万人と、日本の4分の1ぐらいの人口がいます。少し前まで自国と対等の関係だった(しかも古代には自国よりも先進国だった)国であり、それを吸収合併し、経済水準を一気に自国と同レベルまで引き上げ、現地民の意識まで含めて完全に内地化しようとしたわけです。これが成功した事例はあるのかと調べてみましたが、こんなことにチャレンジしたのは日本だけでした。何故こんなことをしたのかと言うと、元々はロシアとの間に干渉地帯が欲しかっただけです。西ヨーロッパにおけるスイスのように、どこの国にも味方せず、他国から侵略されないだけの国力を保持する国になってもらうのがベストでした。しかし伝統的に清を宗主国とし、日清戦争でその支配下から脱出させた思ったら次はロシアを国内に引き入れようとしたことで、「朝鮮は自分で自分を守る国になる気がないな」と実感した日本は、朝鮮を干渉地帯にすることを諦めて直接統治することにしたわけです。その方がロシアの軍を朝鮮半島に駐留されてしまうよりはマシだからです。これが成功すれば世界から朝鮮人が消滅します。これだけの規模の民族を上からの強制で平和的に消滅させようとしたということで、日韓併合というのは世界的にも例がない社会実験だったと言えると思います。

結果としては成功しませんでした。今の日韓関係を見て分かるとおり、統治機構や経済水準を変えることはできても、35年間では人々の意識までは変えられませんでした。日本人にとっても朝鮮人にとっても、和人と琉球人とアイヌ人だけが日本人で、朝鮮人朝鮮人のままでした。恐らくですが、当時の政府としては創氏改名は強制にして朝鮮戸籍を廃止したかったのではないかと思います。名前を見ても日本人と朝鮮人の違いが分からなければ差別することもできなくなり、そこで内地化が完成するからです。それができなかったのは、反発が大きそうなこと、まだ併合前に生まれた朝鮮人が大勢生きていて発音などで違いが判別できてしまうことで、まだ時期尚早だと考えたのでしょう。つまり、内地化の完成には60年から70年はかかるということです。

 

それでは本題に戻ります。

内地化するのであれば、コンゴを発展させるのはフランスではなくてもかまわないということになります。ではどの国なら可能でしょうか? 日韓併合時の人口比から考えると、コンゴの4倍以上の人口が望ましいでしょう。先進国でそれを満たすのはアメリカです。EUは政策も言語も統一されてないので無理でしょう。それ以外の国では日韓併合時の日本以上に負担が大きいので耐えられないでしょう。結論として、アメリカが本気出せば70年後には可能、いや、発展させて統治システムを植え付けるところまでなら35年でも可能かもしれません。

しかし問題は、この方式で『コンゴを発展させた』と言えるのか、ということです。コンゴという地域を発展させたとは言えますが、言葉まで変えてしまったらコンゴコンゴではなくなってしまうわけで、根本的な目的が達成されてない気がします。

 

こんなこと考えてもコンゴのためにそこまでしてくれる国などあるわけないので全くの無駄ですけど。やはりガーナのように、自分達で変えていくしかないです。変わることができなければ永遠にこのまま。清廉で有能な政治家が強権を握ったタイミングで援助するのが一番現実的でしょうか。