世界の片隅でひっそりと呟く

アラフィフのサラリーマンです

アフリカを発展させる方法(その2) 〜日韓併合という社会実験〜

アフリカを発展させる方法(その1) - 世界の片隅でひっそりと呟く

↑前のエントリの続きです。

やる気があればフランスの信託統治で発展させる見込みはあるけど、あまりにも負担が大きすぎるのでフランスが引き受けるわけがない、という結論でした。そのため、他国でもできる方法を考えます。それが副題の『日韓併合』方式です。

 

元々日韓併合について調べたのはアフリカのためではなく、「何故欧米の植民地は旧宗主国に悪感情が無いのだろうか」という疑問からです。まずそちらを調べたところ、ナミビアのドイツに対する感情は非常に悪いということがわかりましたが、これはジェノサイドが原因であり、韓国と日本の関係には参考になりませんでした。そこでイギリスやフランスのやり方と日韓併合にはどんな違いがあるのかを調べてみました。

未開な地域を植民地とした大航海時代は参考になりませんので別として、19世紀のある程度の水準の国家ができていた地域(インドやベトナムなど)を植民地化したケースと比較します。ずいぶん違うなと思った部分を列挙しますと、

①国土全域を編入した

②政体を全面的に変えた

朝鮮総督府の財政が赤字だった

という点です。

まず①について。前のエントリで書いたとおり、欧米の植民地は自分達にとって必要な場所しか押さえません。首都を始めとした都市部や鉱山などです。農村地帯では宗主国の人が直接プランテーション経営をする場合もありますが、自分の所有地以外には干渉しません。しかし、日韓併合では当時の大韓帝国の領域全てを編入し、全土に警察を配置しました。

続いて②について。欧米の植民地では基本的に現地の統治機構を温存します。自分達に反抗的な勢力は排除しますが、上層部をすげ替えるだけで下部はそのままです。反抗しなければ上から下までそのまま温存です。政治改革するつもりは全くありませんし、それに自分達が直接現地民と接触すると現地民の反感を買いやすいというのもあります。現地の勢力の上層部だけを押さえておき、下々の人達に対しては現地の勢力を通じて間接支配するわけです。それに対し日韓併合は、現地の貴族から全面的に実権を取り上げて、日本の統治システムを全土に押し付けました。

最後に③です。これも前のエントリで書いたとおり、欧米の植民地は自分の必要なインフラしか整備しません。しかし日本はというと、朝鮮全土に投資を行い、鉄道や道路、水道などのインフラ整備、学校や工場や病院など、日本本土にある物と同じものを作りました。これらの資金は日本本土から持ち込まれました。

これらのことから分かるのは、当時の朝鮮は日本の植民地ではない、ということです。では当時の日本は朝鮮をどうするつもりだったのかと言うと、日韓【併合】という言葉でも分かるように、吸収合併して完全に日本の一部にしてしまおう(内地化と言います)と考えていました。実は明治初期に琉球王国に対して同じことをやっていますが、こちらは17世紀以降は薩摩藩の間接支配下に組み入れられていたこと、国の大きさが全然違うこと、言葉が方言程度の差しかないことなど、朝鮮とはかなり条件が違います。併合時の大韓帝国の人口は1,300万人、日本の人口は5,100万人と、日本の4分の1ぐらいの人口がいます。少し前まで自国と対等の関係だった(しかも古代には自国よりも先進国だった)国であり、それを吸収合併し、経済水準を一気に自国と同レベルまで引き上げ、現地民の意識まで含めて完全に内地化しようとしたわけです。これが成功した事例はあるのかと調べてみましたが、こんなことにチャレンジしたのは日本だけでした。何故こんなことをしたのかと言うと、元々はロシアとの間に干渉地帯が欲しかっただけです。西ヨーロッパにおけるスイスのように、どこの国にも味方せず、他国から侵略されないだけの国力を保持する国になってもらうのがベストでした。しかし伝統的に清を宗主国とし、日清戦争でその支配下から脱出させた思ったら次はロシアを国内に引き入れようとしたことで、「朝鮮は自分で自分を守る国になる気がないな」と実感した日本は、朝鮮を干渉地帯にすることを諦めて直接統治することにしたわけです。その方がロシアの軍を朝鮮半島に駐留されてしまうよりはマシだからです。これが成功すれば世界から朝鮮人が消滅します。これだけの規模の民族を上からの強制で平和的に消滅させようとしたということで、日韓併合というのは世界的にも例がない社会実験だったと言えると思います。

結果としては成功しませんでした。今の日韓関係を見て分かるとおり、統治機構や経済水準を変えることはできても、35年間では人々の意識までは変えられませんでした。日本人にとっても朝鮮人にとっても、和人と琉球人とアイヌ人だけが日本人で、朝鮮人朝鮮人のままでした。恐らくですが、当時の政府としては創氏改名は強制にして朝鮮戸籍を廃止したかったのではないかと思います。名前を見ても日本人と朝鮮人の違いが分からなければ差別することもできなくなり、そこで内地化が完成するからです。それができなかったのは、反発が大きそうなこと、まだ併合前に生まれた朝鮮人が大勢生きていて発音などで違いが判別できてしまうことで、まだ時期尚早だと考えたのでしょう。つまり、内地化の完成には60年から70年はかかるということです。

 

それでは本題に戻ります。

内地化するのであれば、コンゴを発展させるのはフランスではなくてもかまわないということになります。ではどの国なら可能でしょうか? 日韓併合時の人口比から考えると、コンゴの4倍以上の人口が望ましいでしょう。先進国でそれを満たすのはアメリカです。EUは政策も言語も統一されてないので無理でしょう。それ以外の国では日韓併合時の日本以上に負担が大きいので耐えられないでしょう。結論として、アメリカが本気出せば70年後には可能、いや、発展させて統治システムを植え付けるところまでなら35年でも可能かもしれません。

しかし問題は、この方式で『コンゴを発展させた』と言えるのか、ということです。コンゴという地域を発展させたとは言えますが、言葉まで変えてしまったらコンゴコンゴではなくなってしまうわけで、根本的な目的が達成されてない気がします。

 

こんなこと考えてもコンゴのためにそこまでしてくれる国などあるわけないので全くの無駄ですけど。やはりガーナのように、自分達で変えていくしかないです。変わることができなければ永遠にこのまま。清廉で有能な政治家が強権を握ったタイミングで援助するのが一番現実的でしょうか。

アフリカを発展させる方法(その1)

この命題、いつまで経っても答えが出ません。私が子供の頃からテレビで「今アフリカでは○○秒に1人の子供が亡くなっています」みたいなCMが流れていました。ユニセフか何かが援助のための寄付を募るCMです。もうかれこれ40年、相変わらず援助し続けてます。しかし状況良くなる気配がありません。

何故なのか。

どうしたら良いのか。

世界中の人が何十年も考えて答えが出てないのに、私如きが考えようとするのは結構無謀です。現実には無理なんでしょう。そのため、非現実的な方法も含めて検討したいと思います。

 

例によって、まずは『アフリカ 発展しない 理由』でググります。寄付を募るNGOみたいな団体のホムペがオンパレードになりますが、中に具体的な方法を発見しました。Chikirinさんと言う人が、ブログでそのものズバリ『アフリカが発展しない理由』というエントリを書いてまして、その中で、

"100年の期限で西欧諸国に植民地として統治してもらう"

という方法を提案しておりました。

実は実際にググッたのは何ヶ月も前のことで、Chikirinさんがブログの中でアフリカの実情を書いた本を紹介してくれてたので、それもAmazonで買って読んでみました。『貧困の光景(著者曽野綾子)』と『アフリカ 苦悩する大陸(著者ロバート・ゲスト)』の2冊です。それでわかったことは、要約すると『援助を受ける側の政府や国民の意識が変わらなければどれだけ援助しても発展する見込みはない』ということです。

どれだけ援助しても、資金なら政治家が自分の懐に入れる。食糧ならそれを配る役人が横流しして市場で売る。医薬品なら医者が患者から薬代を請求する(つまり貧乏人には手に入らない)。学校の教科書代は先生が持ち逃げする。援助を受ける側の庶民達も、今日を生きることだけで精一杯で援助物資を有効に使えません。田舎の村に井戸を掘って手動のポンプを付けたら誰かが外して売ってしまった。衛生面を向上させようとしてトイレを作ったら便器を盗みに来た人がいたので鍵を付けることにした(結局誰も使ってない)。役人や医者にピンハネされないように病気や栄養失調の子供の親に直接食糧や薬を渡したら、薬は市場で売られ食糧は自分や他の健康な子供が食べた(助かりそうもない子供は見捨てて育つ見込みの高い子供を優先した)。などなど。先日私が書いた『一帯一路と債務の罠』のエントリの中の『救急車を送ったら分解して部品として売られてしまった』という記述は、この本に書いてあったエピソードです。読んでて絶望的な気持ちになりました。

しかし諦めるわけにはいきません。考えるだけは考えてみます。

 

最初に、どの国を発展させるかを決めます。アフリカと言っても広いんですが、南アフリカや地中海沿岸ではなくてアフリカ中部の国々です。Wikipediaで『後発開発途上国』を調べれば一目瞭然、該当国がアフリカ中部に集中してます。その中でも最も難易度が高そうな国を選びます。コンゴ民主共和国です。隣にコンゴ共和国と言うのがあってややこしいのですが、今回は『コンゴ』と略します。面積は日本の6.2倍、人口は日本の70%、かなり大きな国です。ダイヤモンドやコバルトなどの希少な資源を多く産出し、それを巡って部族間闘争や武装勢力による内戦、周辺国からもちょっかい出されているという、発展の基礎となる『社会の安定』が全然ダメな国です。この国を発展途上国トップレベルのマレーシアぐらいまで引き上げる方法を考えます。

 

手間がかからない方から難しい方へ考えていきます。

第1案:放置する

国内のことには干渉しない。外部とは物々交換でも闇ドルでも良いから交易だけを行う。そのままほどほどに発展するのを待つ作戦です。しかしこれで上手く行くかどうかはソマリアを見ればわかります。ダイヤモンドを奪い合ってるコンゴでは見込み無さそうです。政府や武装勢力によっぽどカリスマ性あって軍事的にも天才な指導者でも現れない限り国内が安定しないものと思われます。

 

第2案:先進国の植民地にする

先述のChikirinさんが提案してた作戦です。先進国が社会制度をお膳立てしてそのまま三世代ぐらい経過すれば国民の意識も先進国並みになる、それから独立させる、という作戦。なるほどと思いましたが、植民地経営というのは宗主国が儲かるからやるわけで、国中に道路作ったり学校作ったりする宗主国はいないという点が問題です。帝国主義時代の植民地は、道路や鉄道は産出地から港までは作りますが、住民が使うための鉄道は作りません。学校は植民地経営に必要な人材を養成する分しか作りません。ベトナムホー・チ・ミンやフィリピンのホセ・リサールのように教育を受けた人達の中には必ず愛国者が出てきて反乱の原因になるのでできれば教育はしたくないんですが、下っ端役人まで宗主国の人にしたら膨大な人数が必要となるので、現地の人を使わないわけにはいきません。仕方なく統治に必要な人数だけに教育を施します。一般庶民には肉体労働だけしかやらせないので教育は不要です。「何もない国と資源が出る国をセットにして儲かるようにする」というフォローはありましたが、植民地の資源は農産物でも何でも良いんです。何かの原材料となる物を産出、或いは生産して、それを宗主国が安価に入手し、消費するか工業製品に加工するか他の国に売るかして、更に、植民地を宗主国が作った工業製品の市場とすることで植民地経営は儲かるわけです。石油が出る出ないはあんまり関係ありません。極論を言えば資源ゼロでも安価な労働力があるだけで良いわけです。発展して賃金上がったら儲からないからわざと発展抑えます。結論として、植民地は何年統治しても発展しません。

 

第3案:委任統治

戦前の国際連盟が採用してたやつです。これは推測ですが、Chikirinさんは植民地とは書いてたけど頭の中ではこっちをイメージしてたんじゃないかと思います。戦後の国際連合信託統治も似てますが、軍事基地などは作ってはいけないという点で国際連盟委任統治の方が良い気がします。中でもB方式という、受任した国が責任持って統治してある程度発展させて将来的に独立させる、というのが良さげです。しかし国際連盟は短期間で終わってしまったので、実際に結果出したのは国際連合信託統治の方です。この信託統治第二次世界大戦終結後の1945年から始まって1994年にパラオが独立したことで終了しましたが、アフリカに関しては結果はあまり芳しくありません。Wikipediaで調べたところ、アフリカで信託統治となった国のうち現時点で何とか安定した国はガーナ1国だけ。他に発展途上国カメルーン1国。こちらは国内の反政府勢力を鎮圧できていません。残るソマリアタンザニアトーゴルワンダブルンジは全部後発開発途上国です。唯一安定してるガーナも独立してから長い間不安定で、1992年になってようやく安定したところです。信託統治が成功したというよりガーナ自身の力で安定させた感じです。何故こんなに上手くいかなかったのか。信託を受けた国が負担に耐えられなかったからでしょう。信託統治を本気でやろうとするなら強力な軍隊を送り込んで国土全域の反乱を鎮圧させる必要があります。その上で道路や電気、水道などのインフラを整備し、学校を作って教師の給料を払い、全国に警察署を作って警察官を雇う。現地の人に任せたら汚職が多発するので本国から人材を大量に送り込まなければなりません。植民地なら都市部や鉱山などの必要な地域だけを安定させれば良いし、同じく必要な地域だけインフラ整備すれば良いし、治安がどうなろうが知ったこっちゃないので警察も不要です。かかる経費が全然違うわけです。結局大赤字に耐えられず、まだ全然発展してないの分かってたけど急いで独立させたものと思われます。この方法の結論として、やればできるけどやってくれる国がない、ということになります。ガーナのような小さい国ですら無理だったのにコンゴとか絶望的です。インフラ整備は世界中の先進国からお金集めて、軍隊は中国とロシアが提供するとして、それでも人材をどうするか。日本の公務員数が330万人ぐらい、コンゴでも同じ人口比の人数が必要とすると230万人ぐらいです。汚職を防ぐために10%を信託統治側から出すとして23万人。行政のシステムは全国統一しなければなりませんから、あちこちの国から連れて行くわけにはいきません。しかも言語の問題があります。フランス語話者じゃなければいけません。フランス語圏の先進国で人口が多い国、つまりフランス人を23万人です。非現実的ですね。コンゴを強引に発展させるのはこのくらい難易度が高いということです。

 

ここまでで現実的には無理だというのがわかりましたが、まだ奥の手があります。それが『日韓併合』方式です。日韓併合の説明だけで長くなってしまうので、次のエントリで↓

アフリカを発展させる方法(その2) 〜日韓併合という社会実験〜 - 世界の片隅でひっそりと呟く

嫌韓の人にありがちなこと

プロフにも記載してありますとおり、私は嫌韓歴20年以上になるわけですが、それだけ長く嫌韓でいるとやはり普通の人とはズレている部分を感じることがあります。その一つが、昨日のエントリにも出てきた『嫌いを通り越してむしろ好き』という感覚です。最初は『嫌い』から入るわけですが、それが『大嫌い』更に『虫唾が走るほど嫌い』とエスカレートし、更にそれを乗り越えるとまた違う心境になってきます。嫌いなのは相変わらず嫌いなんですが、最初の頃の『嫌い』という感覚とは違う感じなのです。本日は、その自分でズレていることに気づいた点についてお話ししようかと思います。

 

①日本のニュースを韓国の新聞記事で知る

最初の頃は日本人が開設した評論系のサイトなどで韓国の知識を得ます。それを一通り読んだ後は、5ch(当時の2ch)などでニュースを見るようになります。更に進行すると5chでスレが立つのが待っていられなくなってきて、韓国の新聞の日本語サイトを直接読むようになります。それ以上に進行した人は韓国語を勉強してオリジナルサイトを読むところですが、私はその域には達してません。しかし毎日のように朝鮮日報中央日報東亜日報を全部読んでいると日本の新聞を読む暇が無くなってきます。結果的に韓国の新聞の『国際』のページで日本のニュースを読むようになってしまい、韓国のニュースはたくさん知ってるのに日本のニュースは少ししか知らないし情報もワンテンポ遅いという状態になります。さすがに最近はもう毎日は読んでませんけど。

②誰かが韓国の悪口を言うとイラッとする

私が嫌韓になった頃はまだ全然少数派だったので、韓国の悪口を言う人など周りにはいませんでした。それがいつの間にか堂々と悪口を言う人が出てきました。私としてはそんな人よりもずっと前から嫌いだったわけで、「お前なんかに韓国の何がわかる!」「韓国ってのはお前が知ってるよりずっと酷い国なんだよ!」などと言いたくなってしまうわけです。もちろん言いませんけどね。

③誰かが韓国を褒めるとイラッとする

嫌韓なら当たり前じゃね?」と思われるかもしれませんが、自分と意見が違うからイラッとしてるわけではないのです。②と同じで「お前なんかに…」という感覚です。「俺はお前が韓国の【か】の字も知らない頃から韓国を見てるんだよ!」などと思ってしまうわけです。芸能人やスポーツ選手がブレイクした時に「自分はずっと前から注目していた」と言ってマウント取ろうとする人がいますが、あれと同じようなものでしょうか。しかし『ずっと前から嫌韓だった』などとバレるわけにもいかないため、黙っているほかはなくストレスを溜めてしまうわけです。

④韓国人がまともなことを言うとガッカリする

イカイ反応通信というサイトでニュースに対する韓国人の書き込みを紹介してるんですが、韓国政府が日本を貶めるようなこと言った時に「反日で支持率上げようとしてるだけ」とか、日本政府が韓国政府を批判した時に「反日ばかりしてるから日本を怒らせた」とか、慰安婦関連のニュースで李容洙を「嘘つきババア」だの「詐欺師」だのと罵倒するとか、そういった真っ当な書き込みばかりの時があると「こんなの韓国人じゃない…」とガッカリした気持ちになります。そして下の方にスクロールして「日本は沈没しろ」などという書き込みを発見すると安心します。嫌韓になったばかりの頃とは韓国人に対する期待感が逆転してます。

竹島を独島(どくと)と言ってしまう

このミスは非常にありがちです。韓国の新聞ばかり読んでるので、竹島だということつい忘れてしまい、周りの人とそういった話題が出た時につい独島と言ってしまう時があります。似たようなパターンで、「米韓軍事演習」とか「中韓首脳会談」を「韓米」とか「韓中」と言ってしまうというのもあります。さすがに日韓は順番間違えることはないんですが、韓国と日本以外の国だと危ないです。このミスを犯した時は『韓国の回し者』という嫌韓的には最大級の屈辱的なレッテルを貼られてしまったかもと大変焦ります。要注意です。

⑥韓国に行けない

最近はLCCのおかげで飛行機代が安くなったのであちこち海外旅行に行ってるんですが、一番飛行機代が安くて便数も多くて行きやすい韓国に行けません。「韓国に行ったこともないくせに韓国の悪口言ってるのは井の中の蛙なのではないか?」という気持ちと「行ってみて韓国楽しかったらどうしよう?」という気持ちの葛藤で、なかなか韓国旅行に踏み切れません。もし良い所だったら私の20年間以上の嫌韓人生が否定されてしまうかもしれないという恐怖を拭い去ることができません。行ってみて日本人だとバレた瞬間に罵倒されたり嫌がらせされたりすれば安心なのですが。

 

このように嫌韓嫌韓なりに色々と葛藤と戦っているわけです。にわかの韓流ファンより韓国のことは詳しいんだという自負もあります。ただのレイシストではなく、ちゃんと勉強した上でのレイシストなのだということを理解していだだきたいです。

南京大虐殺の犠牲者数

南京大虐殺の犠牲者30万人にデータの裏付けない」と発言、女性教師が告発される―中国

Record Chinaの記事です。

前は20万人だったような記憶があったのでWikipedia見てみましたが、記憶遺産登録の時点で軍事法廷の判決書出して30万人で事実認定してたんですね。

確実に人数盛ってると思いますが、こういうの本当に良くない。100のうち1でも嘘があったら残りの99まで疑われます。間違いなら仕方ありませんが、嘘はダメです。

市街戦で巻き込まれた人がゼロなわけないと思います。それが1,000人でも10,000人でも10万人でも悲劇には変わりない。なのにちょっと話を盛るだけで急に話が胡散臭く感じてきます。事実は事実として、分かる範囲でできるだけ正確に記録する。日本軍が悪いのか中国軍が悪いのか、それとも不可抗力の事故なのか、そういうのはその記録を見て個人個人が解釈すること。記録に主観とか捏造とか混ぜちゃ絶対ダメです。

しかも研究の結果「間違ってる」と主張するのも問題にしちゃいけないのに「データに裏付けがない」と言うことすら刑事罰食らうのでは、もう歴史研究する人なんか1人もいなくなっちゃいますよ。反論するならデータ出せば良い。歴史好きの1人としてガッカリします。そういう態度では科学の進歩止まりますよ。私的には一党独裁が必ずしも悪いとは思ってませんが、こういうとこ中国共産党本当に嫌い。共産党の権威保つことが最優先。国民の将来より共産党の将来を優先してる。毛沢東とか鄧小平とかは色々と評価できる部分もあるけど、習近平は先人達よりだいぶ落ちますね。

元在日代表の議員は何故いないのか

この疑問。700人も国会議員いるのに、元在日の利益を代表する議員が1人もいないのは何故なのか不思議に思ってました。少数派だけに衆議院小選挙区では勝ち目がないのは目に見えてますが、中選挙区比例代表なら1人ぐらいは当選できるのではないかと。そこでちょっと人口と票数を調べてみたところ、民団のホムペによると帰化した在日の累計が36万人。当選ラインは、選挙区は最も在日の比率が高い大阪が元在日の比率も高いんじゃないかと予想して前回の参議院大阪選挙区が太田房江議員の55万票、比例代表はN国の98万票。全然無理でした。しかし国会は無理でも大阪府議会や大阪市議会なら中選挙区なので行けるのではないか? ということで、一番可能性ありそうだと思ったのが大阪市議会の生野区有権者数87,000人に対して当選ライン7,360票です。これでも厳しそうですかね。しかし当選には届かなかったとしても、元在日代表が1人も立候補すらしてないし、元在日を代表する政党もない。奈良時代ぐらいまで先祖を遡っても日本人しかいなそうな私が言うのは余計なお世話なんですが、元在日のみなさん的にはこれで良いのでしょうか?

 

前置きが長くなりましたが、もう少し前置きと言うか前知識の説明が続きます。『韓国大嫌いだったけど今や嫌いを通り越してむしろ好き』という進撃の巨人のザックレー総統のような境地に達している人には分かり切ったことでしょうから斜め読みしていただいて、『今はまだ嫌い』というレベルの人や『そもそも韓国にはあんまり興味なかった』という人はちょっとだけ勉強して行ってください。

まず【在日】とは何ぞや?という話。学者系の人なら文字通りの意味なのでしょうが、世間一般では『在日韓国・朝鮮人』を指します。しかし最近(と言うか韓国と国交樹立してから)引っ越して来た韓国人は在日とは呼ばれません。そういう人は【韓国人】です。戦前戦中や戦後すぐの混乱期に引っ越して来た人とその子孫だけが在日と呼ばれます。また、戦前から日本人に住んでいた台湾人なども同じ境遇ですが、こちらは【在日】とは呼ばれません。

次に在日にも【韓国籍】の人と【朝鮮籍】の人がいるという話。日本は1945年にポツダム宣言を受諾して降伏したわけですが、その中に日本は日清戦争の前から日本だった場所以外の領土は放棄する、という条件がありまして、朝鮮半島は日本ではなくなりました。戦前までは朝鮮出身者も日本国籍があったわけですが、これとは別に朝鮮戸籍というものを作ってありまして、それに載ってる人は朝鮮系日本人という扱いでした。敗戦後にこの人達の国籍がどうなったかと言うと、とりあえずは日本国籍のままで、1952年にサンフランシスコ平和条約で正式に日本国籍を失います。この時点で日本に住んでいた人は、大部分が【朝鮮籍】になりました。大部分と書いたのは、1948年に韓国と北朝鮮が独立し、それから1952年までの間は希望すれば韓国の国籍を得ることができたからです。それからも同様で、韓国人になりたい人は韓国籍に、なりたいと思わない人は朝鮮籍のままで現在に至ってます。つまり韓国籍は国籍ですが、朝鮮籍というのは国籍とは少し違うわけです。1960年代ぐらいまでは北朝鮮の方がイメージ良かったため、韓国籍を希望する人は少なかったんですが、段々と北朝鮮のイメージが悪くなったこと、海外旅行に行くのに韓国籍だとビザ免除が受けられる国が多くなったこと、朝鮮籍のままだと北朝鮮支持者だと誤解されやすいこと、などの理由により韓国籍に変わる人が増え、現在は韓国籍の方が圧倒的に多くなっています。この【在日】が他の外国人と違うのは、日本政府から特別永住権というものを付与されていて本人が希望しない限り日本の永住権を失うことはない(反政府ゲリラみたいなことやらない限りはまず大丈夫)、ということです。

韓国籍でも朝鮮籍でも帰化申請して審査に通れば日本国籍になります。この帰化した人、及びその子孫が今回のお話で言うところの【元在日】です。

ついでにせっかくなので我々のような【先祖代々日本人】をゴールデンカムイが広く知らしめたことに敬意を評して【和人】と呼びます。

 

ここからようやく本題です。

日本は日本人のものですが、和人だけのものではありません。和人の文化、アイヌ人の文化、琉球人の文化、その全てが日本を形作っています。当然、在日の文化もしっかりと根を下ろしています。北海道にはアイヌ資料館があって、アイヌ文化が消えないように保存しています。沖縄の音楽などは逆に和人に浸透しているので保存するまでもありませんが、遺跡や伝統芸能のような放置しておくと消滅する恐れがあるものは税金で保護しています。和人の中でも同じです。東北地方と関東地方は文化が違いますし、東京と大阪も違いますが、やはりそれぞれ消えそうなものは保護しています。在日にはそういうものはないのでしょうか?

こんなことを考えたきっかけは焼肉です。なんとなく韓国料理だと思い込んでいたんですが、実は韓国の料理を元にして在日が作った料理だと知りました。肉は高いから買えないけど日本人が食べない内臓は安く手に入ったから、貧しい在日が韓国の味付けで安くて栄養化の高い料理としてホルモン焼きを作り、更にたまにはご馳走として同じ味付けで肉を焼いて食べたのが焼肉の始まりだそうです。どこまで本当か分かりませんが、確かに伝統的な韓国料理には日本で言うところの焼肉は無いようです。

私は韓国の文化を保存しろと言っているわけではありません。在日の文化のルーツは朝鮮半島ですが、在日は在日として日本で生み出した文化があるはずです。私は焼肉しか知りませんけど。そういうものなら保存する価値があるのではないか、であれば行政に働きかけるためにも元在日の代表者を議会に送ろうという機運があっても良いのではないか、という風に思うわけです。

更に言うと、白眞勲議員です。この人の選挙ポスターに書いてあったのが『父の国韓国、母の国日本』です。どう見ても韓国の回し者です。でもこの人も元在日なので、イメージ的には元在日の代表です。こういう人が元在日の代表だと思われてて良いのでしょうか。元在日は日本国民なので、国政に代表を送るなら日本国の国益を守る人じゃないとダメです。韓国の国益に配慮するような人は元在日の代表としてふさわしくありません。

 

在日の代表としてマスコミに出る人は辛淑玉さんとか李信恵さんとか変わった人ばっかですが、私が実際に子供の頃から接して来た人にはああいう人って1人もいません。99%は普通の人です。しかし、なんとなく在日=ソッチ系な人というイメージが出来てしまってます。しかもそのイメージが元在日にまで移ってしまっています。ここらでごく普通の元在日が声を上げ、自分達は普通の人なんだというのを我々和人に知らしめる時が来ているのではないでしょうか。「そんなことわざわざ知らしめなきゃいけないのか」とお思いの方も多いでしょうが、それだけマスコミに出演している在日の影響というのは強いということです。慰安婦の件と「自分達は強制連行された」という主張で情弱な私を騙したことは決して忘れませんからね。

ヤクザは弱い市民の味方である

先週からブログを始めまして、今まで世間の風潮に異議を唱えるようなことを色々と書いてきました。その中でも今日はトップクラスに世間と逆を行くお話だと思われます。

 

今から30年ほど前、阪神淡路大震災がありました。大変な被害を受けた神戸市で山口組が炊き出しを行っている、というニュースを見ました。その時の私は、当然ながら「なんで暴力団が慈善活動してんの!?」と驚いた記憶があります。しかし、これは私の大いなる勘違いで、実はこれこそがヤクザの本分だったのです。

 

本題に入る前に【ヤクザ】と【暴力団】という呼称について説明しておきたいと思います。

暴力団】というのは戦後に警察が付けた呼称で、暴力を背景に治安を乱す組織のことです。いかにも犯罪組織っぽいですね。

それに対し、【ヤクザ】というのは定義付けが難しいです。Wikipediaによると江戸時代からあった言葉で、思いっきり単純化すると『一般世間からは蔑まされるような仕事をしている人』とでも言うべきでしょうか。

現代ではヤクザも暴力団もほぼ同義となっていますが、ここでは元々は『ヤクザ=怖い人』ではあっても『『ヤクザ=悪い人』ではなかった、ということだけ知っておいていただきたいと思います。

 

戦前から続くような老舗?の暴力団のルーツとしては、的屋(てきや)と博徒があります。この他、愚連隊というのもありますが、こちらは戦後の混乱期に始まった新興勢力です。

まず、的屋ですが、現代風に言うと露天商です。江戸の街が発祥な暴力団はこれが多いものと思われます。と言うのも、江戸の街で賭博を開帳していたのは大名の下屋敷だったので民間人であるヤクザの勢力圏外だったからです。何故的屋がヤクザ組織になったのかと言うと、露天商というのは喧嘩になりやすいからです。神社の祭礼で露店を出すとして、人通りの多い神社の鳥居の周辺と奥の引っ込んだ所では客数が全然違います。当然みんなが良い場所に店を出したがり、場所の取り合いで喧嘩になってしまうわけです。上野公園の花見の場所取りで喧嘩になるのと同じです。しかし、せっかくの楽しいお祭りなのに喧嘩など始まったら参加してる人達に嫌われてしまいますし、お客さんの足も遠ざかってしまい他の露天商達が迷惑します。露天商というものは祭礼で浮かれた人達が財布を緩めてくれることで成り立つ商売です。そのため、誰もが一目置いているような人を親分として、みんながその人の子分になり、喧嘩になりそうな時はその人の指示に従おう、という機運が生まれます。この親分というのは公平な人でなければ務まりません。子分達に支持されているかどうかだけが親分になれるかどうかを決めるわけです。しかし、祭りで喧嘩を始めるのは的屋だけではありません。参加者同士が酔っ払って喧嘩することもあります。また、スリを働く輩も出てきます。これもお客さん達に迷惑がかかるので露天商としては困ります。なので、組織化した露天商達は一丸となって喧嘩を止める側に回りますし、悪さを働く輩は排除しようとします。つまり、治安を維持する側の人間なのです。

次に博徒ですが、こちらは江戸を離れた街道沿いの宿場町が本拠地です。宿場街というのは、その地方の中では比較的賑やかな場所です。大きな宿場街になると遊廓、現代風に言うと性風俗店もあり、歓楽街としての一面を持っています。内藤新宿や品川などは「江戸市中では知り合いに見られてしまうかも…」と考えたムッツリスケベな人達の御用達として大規模な遊廓があり、旅行者よりもそっちを目当てにした客の方が多かったそうです。【飲む】【買う】が盛んな場所であれば、当然【打つ】も活況となるのは必然。栄えた宿場街には賭博場が出来るわけです。この賭博場も客の奪い合いで喧嘩が始まります。最終的に抗争に勝ち残った組織がその宿場を縄張りにします。もし流れ者が縄張り内でスリを働いたら宿場の評判が下がってお客さんが減りますし、自分達の懐中に入るはずのお金を流れ者が外部に持ち出すのは許せません。ですので、江戸の的屋と同じように治安を維持する側となります。

この辺まで知ると「警察は何やってるの?」という疑問が湧きます。その回答は、「警察はいません」となります。当時人口100万人の大都市だった江戸で現代の警察に当たるのは町奉行所ですが、その職員数は全部で250人しかいません。しかも北町奉行所と南町奉行所で1ヶ月交代だったので、実質その半分です。この人数で治安維持は不可能ですね。まして的屋というのは世間的にはあんまり立派な職業とは見られておらず、行政からの保護は期待できませんでした。宿場街などはもっと酷くて、強いて言えば代官所の役人が警察業務も行っていたと言えなくもないですが、近くに代官所があればマシな方、そもそも役人が1人も常駐していない宿場もありました。ある意味無法地帯です。必然的に治安維持は自警団に頼るしかなく、この自警団に当たるのが博徒だったわけです。

 

ここから戦後に移ります。

江戸時代とは違ってしっかりとした警察が出来ると、街全体の治安維持というのはヤクザの管轄外となっていきます。ではヤクザは消えるのか?というと、そう簡単にはいきません。警察が全ての人を守ってくれるわけではないからです。

実例を挙げますと、もし繁華街のスナックで酔っ払って他のテーブルの客に絡み始めた人がいるとします。少しぐらいなら問題ありませんが、絡まれた客が嫌になってお店を出て行ってしまったとします。お店のママさんは困ります。そこで警察を呼んだらどうなるか。来てはくれるけど何もしてくれません。せいぜい酔っ払いに注意するぐらいでしょう。酔っ払いはその場では大人しくしますが、全然反省しません。後日また同じことをします。ママさんから出入り禁止を言い渡されると、お店の前で怒鳴ります。警察を呼ぶとお店の前で注意してくれますが、警察が来てるようなお店には他のお客さんは来ません。逮捕してくれれば反省するところですが、警察は実際に被害が発生してからでないと逮捕できません。しかし、これがヤクザだったらどうでしょうか。一番最初の絡み始めた段階で排除してくれます。客も警察は怖くなくてもヤクザは怖いので反省して二度とやらなくなります。

実例をもう一つ。グレーな性風俗店や路上で客を探す売春婦が、盗撮や料金不払いなどで客とトラブルになったとします。自分が摘発されてしまうかもしれないと思ったら警察呼ぶわけにもいきません。特に料金不払いなどは民法に『公序良俗に反する契約は無効』という規定があるので、法律は逆に客の味方となります。ここで助けてくれるのはヤクザしかいません。

つまり、ヤクザは法で守られない弱い立場の人達を守る存在なのです。みかじめ料というのはその対価です。本来は脅して無理矢理払わせるものではなく、守ってくれることに対する感謝の気持ちで自ら進んで払うものなのです。

また、治安維持の機能も全て警察に移管したわけではありません。九州に好戦的な暴力団として有名な工藤會という組織があります。一般市民も攻撃するということで警察から徹底的に追求されていますが、ここで注目したいのは工藤會の勢力範囲では半グレや外国人による犯罪組織の活動が存在しないという点です。ヤクザが暴力団に変わっても、地域密着型であれば犯罪抑止の能力は依然として警察よりも高いと言えます。弱い立場ではない普通の一般人からみかじめ料を取ったり一般人を攻撃したりするので『自分達以外は』という枕詞が付いてしまいますが、縄張り内での犯罪を許さないという機能は持ち続けていたわけです。

 

ヤクザの存在意義はまだあります。

喧嘩が強くて度胸もあるけど勉強は苦手な人、家庭環境の事情でグレてしまった人などは、いつの時代も必ずいます。そういう人達がヤクザになることで、犯罪に走らず立派な社会の一員となることができます。これは本来のヤクザが決して犯罪者集団ではないから言えることです。

 

ここまででご理解いただけたかと思いますが、本来のヤクザというのは『弱きを助け強きをくじく』カッコいい存在なのです。歓楽街でのヤクザは、3人のDQNに囲まれカツアゲに遭ってる市民を見たら1人で助けに入ってDQNを蹴散らし、スリの被害を聞いたら後輩達のネットワークを使って警察よりも先に犯人を割り出して被害者のところに連れて行って謝罪させ、グレて犯罪に走りそうな少年を見かけたら優しい言葉をかけてご飯を奢って身の上話を聞いて自分の舎弟にして更生させる。歓楽街では誰からも頼られ愛される存在なのです。

 

では、何故ヤクザが暴力団になってしまったのでしょうか。

ヤクザの中にも本分から離れてお金稼ぎが目的となってしまった人がいて、過大なみかじめ料を要求して弱い立場の者から搾取し、麻薬の卸売り業を始め、弱くない立場の者を暴力を背景に脅し始めました。もちろん、そういう人は江戸時代から存在しましたが、他のヤクザが「こんな奴はヤクザの風上にも置けねぇ!」と排除していたわけです。しかし、そういうヤクザが多数派になってくると逆に本来のヤクザが排除されてしまいます。本来のヤクザというものは地域密着型なので大きい組織にはなり得ないのです。江戸時代にも日本一の大親分とされた大前田長五郎というヤクザ同士の縄張り争いの調停を行なっていた人がいますが、各ヤクザは自分の目の届く範囲を縄張りにしていました。治安維持できない範囲は縄張りとは言えないからです。しかし暴力団は違います。組織が大きくなればなるほど強くなります。そして、いつしか弱い立場の市民からも弱くない立場の市民からも嫌われてしまいました。評判の良い肉屋は質の良い肉しか仕入れないように、愛されていた頃のヤクザは市民のために働いていましたが、一旦嫌われてしまうと「もう嫌われてるんだしどうでもいいや」と平気で悪いことをするという悪循環が始まりました。そして公権力が暴力団対策法を制定し、ヤクザも暴力団と同様に規制され、みかじめ料が受け取れなくなってしまったヤクザは完全に衰退しました。

 

最近はオレオレ詐欺の元締めや外国人窃盗団への協力などで逮捕される暴力団員のニュースを見ますが、「何故ヤクザがそんなことをやっているのか」と非常に悲しくなります。そういうのを辞めさせる側のはずだったのに。

もうヤクザの時代は終わってしまったのですが、しかし公権力が弱者の味方ではないのは変わっていません。それどころか、悪徳弁護士のように弱者の敵までいます。公権力は法律を知っている人の味方であって、底辺の味方とは言い切れないのです。ヤクザがダメであれば、ヤクザに代わる何かが現れてくれないものでしょうか。

外国人参政権の根拠について

13日に武蔵野市議会の総務委員会で外国人にも住民投票投票権を与えるという条例案が可決されました。21日の議会で採決されれば成立するそうです。

勉強不足な私は「外国人にも議員のリコール権与えるなら、間接的に選挙に関与することを認めることになっちゃうんじゃないの!?」と驚きましたが、リコールみたいな法律で決まっている住民投票ではなく投票結果に法的な拘束力のない住民投票だけが対象ということだったので、「武蔵野市民がそれで良いと言うなら好きにすればいいか」というのが感想です。

 

今日お話ししたいのは、議員や首長を選ぶ選挙権のことです。

ずいぶん前にテレビ朝日の『朝まで生テレビ』で在日コリアン(以下、在日)問題についての討論がありました。その中の参政権についての討論で、在日代表の辛淑玉さんが最初に主張してたのが、

①日本人と同じ税金払ってるのに自分達だけ投票権が無いのは不公平だ。

ということ。すかさずケント・ギルバートさんが「それは世界中どこの国でも同じですよ。私も日本で税金払ってるけど、選挙権はアメリカです」と反論してました。以下、辛淑玉さんを含めた在日側の主張は、

②国籍は韓国だけど韓国の選挙権が無い(韓国は国外居住者には投票させてない)から日本の投票権を貰うのが当然である。

③在日は他の外国人とは立場が違う。日本の都合で無理矢理日本に連れて来られたんだから日本の投票権があって当然である。

などなど。

当時『挺身隊は赤紙で徴用されて組織的な強姦の被害を受けていた性奴隷である』という【事実】をすっかり信じていたレベルの知的水準である私は、「なんかおかしい」と思いつつもケント・ギルバートさんのような明快な反論が思いつかず、そのままモヤモヤしておりました。

その後、辛淑玉さんの著書を読みたくなり、買うのはお金がもったいないので図書館で借りて読んでみました。その中で参政権について覚えてるのが、

④本来そこにあるべきものなのに奪われている。

という主張です。

 

今思えば②は日本人には知ったこっちゃない、韓国政府に文句言えば?という話ですし、③は丸っ切り嘘(徴用者の大部分は帰国し、今の在日のルーツは生活の基盤が日本に出来たために自分の意思で帰国しなかった一部の徴用者と戦後に出稼ぎや朝鮮戦争から逃れるために日本に密航してきた人)だったので、反論する必要すらありません。

問題は①と④です。

 

まず①から。

バックパッカー外こもりスト(物価の安い国で貧乏生活する人)の人達ならご存知かと思いますが、ここ数年でタイの長期滞在が難しくなりました。タイ政府が在留許可をなかなか出してくれなくなったのが原因です。違法行為をする不良外国人ならともかく、大人しく滞在しているだけの外国人を何故排除するのでしょうか。それは『お金を使わずにただ滞在しているだけの人は迷惑だから』です。何も悪いことしてないのに何故迷惑なのでしょうか。それは『ろくすっぽ税金を払わずに住み着いて行政サービスだけを受けてるから』です。

道路作って、信号機作って、街灯作って、その電気代を払って、警察官の給料払って、その全ては税金で賄われてます。外国人は税金払ってないから道路歩いちゃダメとは言えませんし、外国人が事件の被害者になれば警察が捜査せざるを得ません。

要するに、税金とは行政サービスの対価なのです。

タイ政府としては、経済力が弱かった頃は外こもりストがチビチビとお金を使ってくれるだけでもありがたかったけど、経済成長した今はそれなりにお金を使ってくれる人じゃないと滞在させたくないわけです。

つまり税金と選挙権は無関係で、税金払ってなくても国民なら選挙権持ってるし、税金払ってても外国人は選挙は無いということです。

 

次に④について。

参政権というものは、その国の国民に【与えられる】もの、という解釈がそもそも間違ってます。

【国】というものは、ある特定のエリアの居住者達が自分達の代表となる組織を作り「ここは自分達の物だ」と外部の人に宣言し、それを外部の人が承認することで成立します。そして、その成立した国の中では、外部の人達とは関係なく自分達だけでルールを決めることができます(現代では人権の保護は国を超越したルールだという考え方が出てきてますが、今回は割愛します)。

これをもうちょっと具体的に説明します。

私は田舎の漁師町の生まれなんですが、親戚の叔父さん(父親の妹の旦那さん)のお葬式で、参列していた近所のおばさんに「良い人だったねぇ。旅の人(よそ者の意)だから色々と苦労しただろうねぇ」と言われました。叔父さんが他県の生まれというのは当然知っていましたが、私が物心ついた頃には既にすっかり訛っていたし、漁業共同組合員だし、地元民として全然違和感なかったので、「えっ!?よそ者だったの!?」と衝撃を受けました。「あんたみたいな人がいるから苦労したんじゃないの?」という疑問はさておき、田舎で【旅の人】から【地元民】に昇格するのは居住40年では足りなかったのです。子供(私の従兄弟)の世代になってようやく地元民になれたわけです。もし叔父さんが犯罪を犯したとか新左翼の活動家だったとか、何か地元民から嫌われることをしていたら、従兄弟もよそ者のままだったでしょう。その代わり一度地元民と認定されれば、何かしでかして村八分になることはあっても地元民のままです。

国民というのはこれです。そこに住んでると国民になる権利が生まれる、というようなものではないのです。その国の国民かどうかは、国民が決めるのです。建国した時に国民ではなかった人が国民になる、つまり帰化するためには、よそ者が田舎のコミュニティに入れてもらうように、当該国の法律や文化を守り国民に「こいつなら仲間に入れてやっても良い」と納得してもらって初めて許可されるものなのです。当該国の国民は上から目線なのです。現在の法律では、帰化の審査をするのは法務省です。なんとなく『帰化の要件を満たして申請すれば自動的に許可される』と思いがちですが、本来はヘコヘコ下手に出てお願いしてようやく認めてもらえるものなのです。一旦認めてもらっちゃえば上から目線の仲間入りです。

参政権というのはその国のルールを決める権利であり、その国の国民にしか認められません。それこそが国を作った目的だからです。誰かから【与えられた】ものではなく、国民が国を成立させた時に手に入れた権利です。なので④の「本来そこにあるべきもの」というのは勘違いです。「本来は国民にお願いして仲間に入れてもらえば手に入れられるもの」です。

 

こういうことが分かるまで20年以上かかりました。

勉強は一生続くものですね。