世界の片隅でひっそりと呟く

アラフィフのサラリーマンです

ヤクザは弱い市民の味方である

先週からブログを始めまして、今まで世間の風潮に異議を唱えるようなことを色々と書いてきました。その中でも今日はトップクラスに世間と逆を行くお話だと思われます。

 

今から30年ほど前、阪神淡路大震災がありました。大変な被害を受けた神戸市で山口組が炊き出しを行っている、というニュースを見ました。その時の私は、当然ながら「なんで暴力団が慈善活動してんの!?」と驚いた記憶があります。しかし、これは私の大いなる勘違いで、実はこれこそがヤクザの本分だったのです。

 

本題に入る前に【ヤクザ】と【暴力団】という呼称について説明しておきたいと思います。

暴力団】というのは戦後に警察が付けた呼称で、暴力を背景に治安を乱す組織のことです。いかにも犯罪組織っぽいですね。

それに対し、【ヤクザ】というのは定義付けが難しいです。Wikipediaによると江戸時代からあった言葉で、思いっきり単純化すると『一般世間からは蔑まされるような仕事をしている人』とでも言うべきでしょうか。

現代ではヤクザも暴力団もほぼ同義となっていますが、ここでは元々は『ヤクザ=怖い人』ではあっても『『ヤクザ=悪い人』ではなかった、ということだけ知っておいていただきたいと思います。

 

戦前から続くような老舗?の暴力団のルーツとしては、的屋(てきや)と博徒があります。この他、愚連隊というのもありますが、こちらは戦後の混乱期に始まった新興勢力です。

まず、的屋ですが、現代風に言うと露天商です。江戸の街が発祥な暴力団はこれが多いものと思われます。と言うのも、江戸の街で賭博を開帳していたのは大名の下屋敷だったので民間人であるヤクザの勢力圏外だったからです。何故的屋がヤクザ組織になったのかと言うと、露天商というのは喧嘩になりやすいからです。神社の祭礼で露店を出すとして、人通りの多い神社の鳥居の周辺と奥の引っ込んだ所では客数が全然違います。当然みんなが良い場所に店を出したがり、場所の取り合いで喧嘩になってしまうわけです。上野公園の花見の場所取りで喧嘩になるのと同じです。しかし、せっかくの楽しいお祭りなのに喧嘩など始まったら参加してる人達に嫌われてしまいますし、お客さんの足も遠ざかってしまい他の露天商達が迷惑します。露天商というものは祭礼で浮かれた人達が財布を緩めてくれることで成り立つ商売です。そのため、誰もが一目置いているような人を親分として、みんながその人の子分になり、喧嘩になりそうな時はその人の指示に従おう、という機運が生まれます。この親分というのは公平な人でなければ務まりません。子分達に支持されているかどうかだけが親分になれるかどうかを決めるわけです。しかし、祭りで喧嘩を始めるのは的屋だけではありません。参加者同士が酔っ払って喧嘩することもあります。また、スリを働く輩も出てきます。これもお客さん達に迷惑がかかるので露天商としては困ります。なので、組織化した露天商達は一丸となって喧嘩を止める側に回りますし、悪さを働く輩は排除しようとします。つまり、治安を維持する側の人間なのです。

次に博徒ですが、こちらは江戸を離れた街道沿いの宿場町が本拠地です。宿場街というのは、その地方の中では比較的賑やかな場所です。大きな宿場街になると遊廓、現代風に言うと性風俗店もあり、歓楽街としての一面を持っています。内藤新宿や品川などは「江戸市中では知り合いに見られてしまうかも…」と考えたムッツリスケベな人達の御用達として大規模な遊廓があり、旅行者よりもそっちを目当てにした客の方が多かったそうです。【飲む】【買う】が盛んな場所であれば、当然【打つ】も活況となるのは必然。栄えた宿場街には賭博場が出来るわけです。この賭博場も客の奪い合いで喧嘩が始まります。最終的に抗争に勝ち残った組織がその宿場を縄張りにします。もし流れ者が縄張り内でスリを働いたら宿場の評判が下がってお客さんが減りますし、自分達の懐中に入るはずのお金を流れ者が外部に持ち出すのは許せません。ですので、江戸の的屋と同じように治安を維持する側となります。

この辺まで知ると「警察は何やってるの?」という疑問が湧きます。その回答は、「警察はいません」となります。当時人口100万人の大都市だった江戸で現代の警察に当たるのは町奉行所ですが、その職員数は全部で250人しかいません。しかも北町奉行所と南町奉行所で1ヶ月交代だったので、実質その半分です。この人数で治安維持は不可能ですね。まして的屋というのは世間的にはあんまり立派な職業とは見られておらず、行政からの保護は期待できませんでした。宿場街などはもっと酷くて、強いて言えば代官所の役人が警察業務も行っていたと言えなくもないですが、近くに代官所があればマシな方、そもそも役人が1人も常駐していない宿場もありました。ある意味無法地帯です。必然的に治安維持は自警団に頼るしかなく、この自警団に当たるのが博徒だったわけです。

 

ここから戦後に移ります。

江戸時代とは違ってしっかりとした警察が出来ると、街全体の治安維持というのはヤクザの管轄外となっていきます。ではヤクザは消えるのか?というと、そう簡単にはいきません。警察が全ての人を守ってくれるわけではないからです。

実例を挙げますと、もし繁華街のスナックで酔っ払って他のテーブルの客に絡み始めた人がいるとします。少しぐらいなら問題ありませんが、絡まれた客が嫌になってお店を出て行ってしまったとします。お店のママさんは困ります。そこで警察を呼んだらどうなるか。来てはくれるけど何もしてくれません。せいぜい酔っ払いに注意するぐらいでしょう。酔っ払いはその場では大人しくしますが、全然反省しません。後日また同じことをします。ママさんから出入り禁止を言い渡されると、お店の前で怒鳴ります。警察を呼ぶとお店の前で注意してくれますが、警察が来てるようなお店には他のお客さんは来ません。逮捕してくれれば反省するところですが、警察は実際に被害が発生してからでないと逮捕できません。しかし、これがヤクザだったらどうでしょうか。一番最初の絡み始めた段階で排除してくれます。客も警察は怖くなくてもヤクザは怖いので反省して二度とやらなくなります。

実例をもう一つ。グレーな性風俗店や路上で客を探す売春婦が、盗撮や料金不払いなどで客とトラブルになったとします。自分が摘発されてしまうかもしれないと思ったら警察呼ぶわけにもいきません。特に料金不払いなどは民法に『公序良俗に反する契約は無効』という規定があるので、法律は逆に客の味方となります。ここで助けてくれるのはヤクザしかいません。

つまり、ヤクザは法で守られない弱い立場の人達を守る存在なのです。みかじめ料というのはその対価です。本来は脅して無理矢理払わせるものではなく、守ってくれることに対する感謝の気持ちで自ら進んで払うものなのです。

また、治安維持の機能も全て警察に移管したわけではありません。九州に好戦的な暴力団として有名な工藤會という組織があります。一般市民も攻撃するということで警察から徹底的に追求されていますが、ここで注目したいのは工藤會の勢力範囲では半グレや外国人による犯罪組織の活動が存在しないという点です。ヤクザが暴力団に変わっても、地域密着型であれば犯罪抑止の能力は依然として警察よりも高いと言えます。弱い立場ではない普通の一般人からみかじめ料を取ったり一般人を攻撃したりするので『自分達以外は』という枕詞が付いてしまいますが、縄張り内での犯罪を許さないという機能は持ち続けていたわけです。

 

ヤクザの存在意義はまだあります。

喧嘩が強くて度胸もあるけど勉強は苦手な人、家庭環境の事情でグレてしまった人などは、いつの時代も必ずいます。そういう人達がヤクザになることで、犯罪に走らず立派な社会の一員となることができます。これは本来のヤクザが決して犯罪者集団ではないから言えることです。

 

ここまででご理解いただけたかと思いますが、本来のヤクザというのは『弱きを助け強きをくじく』カッコいい存在なのです。歓楽街でのヤクザは、3人のDQNに囲まれカツアゲに遭ってる市民を見たら1人で助けに入ってDQNを蹴散らし、スリの被害を聞いたら後輩達のネットワークを使って警察よりも先に犯人を割り出して被害者のところに連れて行って謝罪させ、グレて犯罪に走りそうな少年を見かけたら優しい言葉をかけてご飯を奢って身の上話を聞いて自分の舎弟にして更生させる。歓楽街では誰からも頼られ愛される存在なのです。

 

では、何故ヤクザが暴力団になってしまったのでしょうか。

ヤクザの中にも本分から離れてお金稼ぎが目的となってしまった人がいて、過大なみかじめ料を要求して弱い立場の者から搾取し、麻薬の卸売り業を始め、弱くない立場の者を暴力を背景に脅し始めました。もちろん、そういう人は江戸時代から存在しましたが、他のヤクザが「こんな奴はヤクザの風上にも置けねぇ!」と排除していたわけです。しかし、そういうヤクザが多数派になってくると逆に本来のヤクザが排除されてしまいます。本来のヤクザというものは地域密着型なので大きい組織にはなり得ないのです。江戸時代にも日本一の大親分とされた大前田長五郎というヤクザ同士の縄張り争いの調停を行なっていた人がいますが、各ヤクザは自分の目の届く範囲を縄張りにしていました。治安維持できない範囲は縄張りとは言えないからです。しかし暴力団は違います。組織が大きくなればなるほど強くなります。そして、いつしか弱い立場の市民からも弱くない立場の市民からも嫌われてしまいました。評判の良い肉屋は質の良い肉しか仕入れないように、愛されていた頃のヤクザは市民のために働いていましたが、一旦嫌われてしまうと「もう嫌われてるんだしどうでもいいや」と平気で悪いことをするという悪循環が始まりました。そして公権力が暴力団対策法を制定し、ヤクザも暴力団と同様に規制され、みかじめ料が受け取れなくなってしまったヤクザは完全に衰退しました。

 

最近はオレオレ詐欺の元締めや外国人窃盗団への協力などで逮捕される暴力団員のニュースを見ますが、「何故ヤクザがそんなことをやっているのか」と非常に悲しくなります。そういうのを辞めさせる側のはずだったのに。

もうヤクザの時代は終わってしまったのですが、しかし公権力が弱者の味方ではないのは変わっていません。それどころか、悪徳弁護士のように弱者の敵までいます。公権力は法律を知っている人の味方であって、底辺の味方とは言い切れないのです。ヤクザがダメであれば、ヤクザに代わる何かが現れてくれないものでしょうか。